

うすけんです
引きこもりやうつ病、コミュニケーション障害でもなんでもいいですが、これらすべては私はその人にしかない個性だと考えてます。それは自分がネガティブなことだと考えすぎているからです。
そもそもネガティブな風に捉えてしまうからネガティブになるのです。それを一種の個性だと思うといつの間にかその個性が武器になっていることもあり得るのです。
その辺りも含めてお話していこうと思います。
嫌いなところもとらえ方次第では好きなところに
一般的にはコミュニケーション障害は悪い、引きこもりや不登校はダメだ、という考えが一般的だとは思います、でも私は言います。
よく学校行かなかったね!素晴らしいよ!
私は学校に行かないことも素晴らしいことだと考えています、現在の常識があるから否定的な意見がでてくるのです。ですがその子が学校に行きたくなければいかなくてもいいのです。
学校に行かないことにより成功する人もいるのです、不登校も悪いことだけじゃないです、それはその時間で自分の成長につなげられればいいこともたくさんあり、好きな事をとことん追求することができます。
もちろん苦労することもあるとは思います。私はほかの人との話で修学旅行どこ行った?というと答えに詰まったりします。
でも、私の不登校時代の経験が今も活かされていると思ってます
すべて個性、一番自分のしたいことをしている姿が一番いい
みんな違うし、みんな良い、受け入れる心が大事なのです。
常識を疑う生き方へ
周りの人を観察するとよいと思います
みんな周りの目を気にして生きてたり、働いてなかったら否定されたり、自分が正しいと思い込んでいる人もいます、それを間違えているとはいいませんが、それでは歯車の人生になってしまいます。
すべてを疑え、すべてが間違えていて、すべてが正解だと考えろ
そして自分の信じる道を目指せ
生き方も人それぞれです、一番自分にあった生き方をするのが大事です。ただしお金を浪費するだけの人生は止めておきましょう。浪費するのはいいが
消費者から生産者へ
という考えを忘れないようにしてくださいね。
個性を伸ばすことによる成長のメリット
個性を伸ばすことはとても良いことなのに、世間一般的には学校教育により、与えられた仕事をこなし、上司または先生に叱られないように、勉強または仕事をします。
でもそのままじゃ貧乏のままです。正確には貧乏な心を持ってしまいます。自分は他人より下または部下であり続けなければならないと思ってしまいます。
もちろん学校教育にもいいところも沢山ありますし、大切な友達ができる場所でもあります。ですが、不登校になってしまって個性を伸ばすことにより、イラストが上手になったり、音楽や動画が作れるようになったりしたら、そこに新しいビジネスや自分自身を生産者として売り出すことができます。
皆が生産者になって、この世がよりよくなることを願います。そしてAIの発展と共にAI以上の価値を自分自身に付けていきましょう。
学校による洗脳教育
すべてがすべてとは言いませんし、学校にも良いところはたくさんあるのは私自身も分かっているつもりです。
ですが、学校の制度を見るとどうしても仕事をする奴隷を作るために教育があるようにも見えるのです。
本当はもっと自由に学び、成長するべきだと思うのです。
誰かと違ってていいのです。むしろそれが楽しさを生むのに誰かと違うことをすると否定する社会は少し違うのかなと考えております。
自分の人生をより幸せにするにはどうしたらいいのか考える必要がありそうです。
閲覧していただきありがとうございました。
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